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突然ですが

引っ越します。
 
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お母さんの作文

ようやく机のまわりの雑多な紙屑を片付けたら、こないだ書いた、卒園文集用の作文が出てきた。お母さんは作文を書いたのだ。なんかなあ、こういうの書くって、われながらちょっとけなげと思うよね。
思わないか。

こんなの。


   りくしのようちえんものがたり

 2008年4月、入園式の朝に『ぜったいがっこうにはいかないからね』(チャーリーとローラのおはなし)という絵本を出して読み始めたことが忘れられません。不安と緊張いっぱいだったかな。慣れるのに少し時間がかかったね。きみはみんなからぽつんとはなれて、ひとりだけ机に向かってすわっていました。5月、みんなが母の日のお母さんの絵をかいているときに、きみはケロロ軍曹の絵をかいていて、お母さんはケロロになりました。安佐動物園の遠足では、ひとりでとっとこ走って行って迷子になったね。しかも迷子になったことに気づいてない。先生たちにも心配かけました。6月、靴下大好き、はだし大嫌いなきみが、みんなとプールに入りたくて靴下を脱ぎました。ごはんの度に食べ物がウンチになって出ていく話をしてくれたのは、毎日、保健室のポスターを見ていたからだね。元気なウンチをめざしました。9月、夏休みが終わると朝の幼稚園バスにひとりで乗れなくなり、ママや先生に抱きあげてもらって乗ったね。運動会の練習はさぼりまくり、教室は脱走しまくり。でもザリガニの餌係をしてたのかな。運動会本番はがんばったね。いい笑顔でした。10月、「ぼく、じんせいがつまんないんだ」というので心配しましたが、11月の生活発表会では立派に鬼の役ができて、じんせいはまた楽しくなったね。教室でお友だちと一緒にすわれるようになり、脱走もしなくなったんだよね。
 2009年4月、年長さんになった最初の参観日に、きみがみんなと一緒に楽しそうにすわっているのを見たときは嬉しかったです。母の日の絵もケロロじゃなくて、お母さんの絵になりました。「ぼく、むりだよ」と言っていた太鼓の練習も靴下脱いでできたし、お泊り保育もへっちゃらで、花火大会もとっても楽しんでいたね。運動会のリレーもひとりで走れたし(抜かれたけど)がんばったね。お友だちと遊ぶのもますます面白い。年中さんのときは電車の絵本ばかり借りていたのが、年長さんになったらねずみくんの絵本ばかり借りてきて、ねずみくんの赤いチョッキをママにつくらせた。空き箱の船を毎日つくって帰って、お部屋に港ができました。秋には近くの空き地に畑をつくって、畑の野菜をお弁当に入れていったね。お箸も使えるようになったし、野菜も食べられるようになった。ほんとうに、この2年間のきみの成長は、とてもすばらしくて、パパもママもとっても楽しかったです。ありがとう。これからも、難しいこともたくさんあると思うけど、大丈夫、明るく乗り越えてゆけます。
 あや先生、見守ってくださった先生方、本当にありがとうございました。

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ハプチョンの友だち

そういえば掲載誌をもらっていないが、原稿料はふりこまれていたので、載ったのだろう。たぶん秋頃。長距離バスの椅子の背にはさまれているらしいフリーペーパーに、旅の話を書いた。2度目。
ファイルの整理が苦手なので、記録がわりに、ここに。

☆☆

陜川(ハプチョン)の友だち
    ──一九八四年韓国ひとり旅②
               野樹かずみ

 一九八四年十月、下関から船で釜山に渡った私は、釜山で出会った学生たちと数日過ごした後、慶州、大邱を経由して陜川へ向かった。ちょうどその頃、仲間たちと在日韓国人被爆者の被爆体験の聞き書きをしていて、広島には陜川出身者が多いと聞いていたので、訪ねてみようと思ったのだった。
 さて、陜川に着くには着いたが、バスを降りて行くあてもない。田舎町をふらふら歩いていると食堂の裏庭に迷い込んだ。その家のアボジ(お父さん)に声をかけられ、広島から来たことを告げると、家にあげてくれて食事を出してくれた。アボジは解放まで日本で働いていたという。オモニ(お母さん)は広島で生まれて、十二歳で被爆後、帰国した。「広島のどこですか」と訊くと「吉島」と言うので驚いた。そのころ私は吉島に下宿していたのだ。オモニは肩のケロイドを見せてくれた。それがまだ痛むこと、前年、治療のために何か月か広島の河村病院に入院していたことは、アボジが教えてくれた。「オモニはもう日本語を忘れているよ。でも日本生まれだから韓国語の発音はへんだよ」
 外国へ女の子がひとりで行くなんて親は心配しなかったかと、コモ(伯母さん、アボジのお姉さん)が私の家族のことを聞き、私が母は死んだと言うと、「アイゴ」と言いチッチッチッと舌打ちをした。「オモニいないとさびしいね」と言った。「うん、アボジがね」と言うと「アボジちがうよ、あなたがね」と言われて、ふいに泣いてしまいそうで慌てた。
 「ファラン食堂」という名前の食堂だった。ここに泊まればいい、とみんなが言ってくれた。アボジとオモニには四人の娘がいて、キョンジャという名前の、私と同い年の娘は、高校を出て店を手伝っていた。彼女は韓国語しかできず私は日本語しかできない。ふたりとも英語が苦手。私たちのやりとりはちんぷんかんぷんだが、意思疎通はできるのである。田舎の幼なじみと一緒にいるみたいに、不思議になつかしく、ほのぼのした気持ちだった。
 陜川には、韓国で唯一の原爆診療所がある。そこにもキョンジャが連れていってくれた。院長の鄭基璋先生が、在韓被爆者の現状について、いろんな話をしてくださった。話も終わるころ、ふと「戦争は負けたら駄目です」と先生は言った。なぜですか、と訊いたら「負けたらみじめでしょう」と言った。先生のその言葉がずっと忘れられずにいるのだが、敗戦国の日本人よりももっと、みじめさの底を生き抜くことを余儀なくされたのが、韓国の被爆者であったのかもしれない。
 店が暇な時間になると、キョンジャと私は町を散歩した。小学校があり、町のはずれには広い河原があり、水の青さと河原の石の白さが、陽に輝いて眩しかった。いたるところコスモスが花ざかりだった。私の手をしっかりつないで歩きながら、ふいに空を指さして「韓国の秋の空は美しい」とキョンジャが言った。韓国語はわからないのに、彼女がそう言ったことははっきりわかった。見上げると、どこまでも透きとおった空の青だった。
 翌年もう一度、ファラン食堂を訪ねたが、その後は、韓国へ行くこともなく歳月が過ぎてしまった。いろんなことが変わってしまっただろう。でも、キョンジャが見せてくれた美しい秋の空だけは変わらないだろう。

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シンプルな場所

河津聖恵さんが、ブログで詩論を展開している。
面白い。コトバは大いなる他者である。
http://reliance.blog.eonet.jp/default/


柳美里さんの朝鮮大学校訪問記、読む。

「孤独─、孤独は不安と一体になっているものです。
 不安が社会を覆い、孤独がひとのこころに襲いかかる。
 いまの日本の教育の場を支配しているのは、理念でなく「不安」であるような気がします。(略)
 教師の孤独、児童の孤独─、孤独が暴力の一因であることは間違いがありません。暴力は一時的に孤独感を麻痺させるからです。
 暴力は他者に向けられる場合もあるし、自殺というかたちで自分に向けられる場合もあります。
 暴力に対する不安が立ちこめる教室のなかにいる教師と生徒は、不安な存在として立ちつくすしかないのです、それぞれ別の方角を向いて──
 朝鮮大学校の学生と話して、彼らは常に新しい不安と危機に曝され、孤独感をおぼえながらも、「孤独」によって「連帯」すべく、自分と向き合い、友人と向き合い、日本と向き合い、世界と向き合おうという極めて前向きな姿勢と意志を持っている、と確信しました。」

「孤独」によって「連帯」する。
その方向性しかないと思う。
「個」のありようを確かにしていくこと。個と個をつないでゆくこと。

共同幻想は、どんな共同幻想も、嘘まみれで残酷なものだ。

この社会が、マイノリティに対してどんなに残酷かは、マイノリティの側にいなければ決してわかるものではないだろうが、本当は、個々人は誰ひとり同じではないという意味で、ありのままの存在として、マイノリティなのだ。

ひとりの人間になること。それ以外の何ものにもならないこと。


自閉症関係の本を読むまで、気づきもしなかったけれど、言われてみると確かにその通り。

自閉症の特徴らしいんだけど、まず全体を把握して、それから部分を見ていく、という認識が苦手である。ほとんどできない。目の前にあらわれた光景、一歩踏み出してみて、また次にあらわれた光景、という、部分と部分と部分をつなぎあわせながら、世界を認識していくというやり方。
なので、自分が世の中の、いまどこらへんに立っているのか、まずわからない。たぶん生きているということは、灯りのあるところにいるのだ、ということだけを、信じているだけで。
生きてみるのは、たぶん夜道を歩くのと似ている。目の前の灯りで照らされたところだけが見える。その向こうは、また一歩踏み出してみるまで、わからない。

でもそういう脳のありようも、使い道はあるか、と思うのは、たとえばゴミの山に行って、それは役立った。こわくないのだ、スラムの夜道。たぶん生きている感覚、ふだん道を歩く感覚と、同じだったからだろう。ゴミだらけの川にかかった細い橋を渡るときはさすがに、落ちたらいやだなあと思ったけど。

鳥瞰ができないことも、何かの役には立つ。もし、ゴミの山とか、貧困とか、スラムのありようとか、それをとりかこむ社会情勢とか、いろんなことが、もし最初っから見えていたら、先に絶望と無力感が襲ってきて、だから、知らないふりをしたかもしれない。
でも、私の目の前にあったのは、レティ先生と子どもたちだけで、ほかにはなんにも見えなかったから、いまここにある希望を失いたくないという気持ちだけが全部で、言葉もわからないし金もないのに、なんにも見通しがないのに、支援グループを立ち上げるなどということをしてしまえた。絶望も無力感も、入り込むすきまがなかった。
(あのころ、ひとりで銀行や郵便局にも行けないほど、世の中に対してこわがりになっていて、郵便局に口座を開くのに、学生についてきてもらったことを覚えている。)
鳥瞰できない、ということとつながるんだろうが、いろんなことに、見通しがもてない。それはそれなりに苦しいんだが、見通しがもてないまま生きていることがあたりまえなので、活動立ち上げるに際して、見通しがもてないなんてことは、障害にはならなかった。

ゴミの山の学校は居心地が良かった。思い出すのは、学校が潰れそうだったときに、明日どうなるか、もう全然わからないときに、停電が続いて、雨のなか、ろうそくを灯して、ひとりで留守番していた休日の夕暮れ。
目の前に一本のろうそくがあるだけ、という場所にいて、それは人生のとても正しい場所にいるという感じがしたことだった。たぶんそれは、私のいたってシンプルな脳のありようと、そっくりで、とてもとても落ち着いたのだ、と思う。

あのシンプルな場所につねに立ち返ることができれば、私の人生は大丈夫だ、と思う。

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サリンジャー

サリンジャーが死んだこと。
まだ生きていたことを知らなかったが。
「ライ麦畑でつかまえて」は高校生のときに読んだ。読み終えたあとに、本を抱きしめて泣いたかどうかはわかんないけど、まあ、そのような気持ちになった。「ナインストーリーズ」「フラニーとゾーイー」は買って読んだ記憶はあるが、内容については記憶がない。

パンチョさんが日記に、サリンジャーについて書いていて、

 「共同幻想」への嫌悪。
 「共犯幻想」への懸想。

の二行が、心臓にささった。それはものすごく大事なベクトルではないだろうか。
「共同幻想」への嫌悪。
「共犯幻想」への懸想。
その間で、「個」のありようは決定的に変容している。その変容が、何かとても困難で、何かとても大事なことに思える。

共同幻想から引きはがされたら人は孤独になる。孤独を引き受けてゆく「個」の強さがなければ、たちまちそれは暴力になる。他へ向けても自分自身に向けても、いろんなかたちの。
「共犯幻想」への懸想は、言葉をかえれば、同苦へのこころざし。共同幻想を振り払った、あるいは引きはがされた「個」が、暴力にほろぼされないで、ふたたび他者とつながってゆくありようは、そのほかに考えられない。

この社会の暴力性は、共同幻想から引きはがされたときの、あきれるほどの「個」の弱さを露呈しているのだと思う。

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「洪水」5号 その他

詩と音楽のための「洪水」5号に、松村由利子さんが『天秤 わたしたちの空』の書評を書いてくれています。ヴェイユの思想も踏まえて書いてくださって、意図するところも汲んでもらって、たいへん嬉しい。

「今回の大きなテーマは、ヴェイユが決して異端で孤高を保った哲学者ではなく、私たちとつながる存在だというメッセージではないだろうか。ヴェイユの思想、哲学が知りたければ彼女の著作を読めばいい。『天秤』は、詩歌の力によってヴェイユという一人の女性の痛みを追体験し、それを通して歴史や現在をもう一度私たちの手に取り戻そうとする試みだと思う」

まだ全部読んでいないのだれど、河津聖恵(詩人)×三輪眞弘(作曲家)の往復書簡は、ああそうか、と思ったことがいくつか。
「親が子供の存在をまるごと承認していることを伝える「はい」であると同時に、相手(子供)のなかに住まう他者となったみずからを確認する「はい」でもあると思うのです」
「今生きている「わたし」だけが(略)見たこの世界すなわち歌と詩のことばによってしか姿をあらわすことのない、今のこの世界」

金田一秀穂が「この世界を正しく伝達すること。それは自分の思いを表現することよりも難しいし、大切なこと」と何かで言っていたのを思い出した。
それはちょっと励まされる言葉だったのだ。感情の把握(自分自身の感情も)が苦手な自閉脳にとって、思いを表現するというのは、たぶん、とても難しいのだが、それが苦手でも、生きる道はあるぞ、という感じで、受けとめた。

野樹の短歌も5首。
書きたいことを書いているとは思う。でも短歌を書いているかどうかは、疑わしいかも、と思う。隣のページが川野里子さんなので、よけいに。

洪水のHPはこちら→http://www.kozui.net/frame-top.htm
『天秤』のあとがきを紹介してもらっていることは、さっき気づいた。
http://www.kozui.net/nogikazumi.htm
http://www.kozui.net/kawazukiyoe.htm

個人詩誌「ポエームTAMA」70(池田實さん)にも『天秤』紹介してもらっています。http://www.hinocatv.ne.jp/~planet/p7.htm

こんな書評もありました。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/7d24d20f6cd17362d1db2c012eddcf6f

ありがとうございます。

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続・就学相談

火曜日、教育委員会の相談室へ。私が東京で羽を伸ばしている間に、担当のT先生が、幼稚園に子どもの様子の観察に行ってくれていて、まずその報告から。
楽しく過ごせていること。集団行動に問題がなく、発表も落ち着いてできていること。ちょうど十進法の勉強をしていたらしいのだが、よく理解していたこと。エネルギーもある。通常学級で十分やっていけるでしょう。

T先生、学区のこともよく知っていてくれて、幼稚園によって、子どもの傾向がちがってくることなど聞かされる。K幼稚園の子は漢字まで習ってくる、とか、ちびさんの幼稚園の子は、好きなことを思いっきりさせてもらっているから集中力はある、が好き嫌いも大きい、とか。幼児教育は、その後にけっこう大きな影響を及ぼすみたい。

ところで、歌ったりお遊戯したりはいっさいしませんね。そこはまず小学校の入学式から困るところでしょう。ええ、しません。どうしてでしょう。やりたくないんですよ。苦手でもあり楽しくもないことを、なぜやるのかという、その意味や価値を自分で発見できない以上はやらないでしょう。いまは、同じ空気のなかにいるだけで、よし、と思ってあげてください。無理強いすると、ますますいやになります。もしかしたら、いまはいやでも、10年後、20年後には楽しいことになるかもしれない。でも無理強いして、絶対いやということになると、その可能性を摘んでしまうことになります。

気になったのは、顔をぶんぶん振ったり、落ち着きのないところが、すこしあること。顔をぶんぶん振る、というのは、家ではあまり見たことがないので、?と思ったが、落ち着きのないところはある。

これから小学生になるからといって、プレッシャーかけて、ストレスになったりしないようにしてください。夏までにのんびり慣れていくのを見守るというふうでいいですから、といってくれる。
小学校に行くからといって、何をどうすればいいのか、私もさっぱりわからんので、夏までのんびり、という言葉を真に受けることにする。のんびり。

ちびさん、多動はあったと思う。忘れられないのは2年前、アジア人権賞の授賞式でレティ先生が講演しているときに、ちびめ、ずっと走りまわっていた。それを追いかけるのが、もう吐きそうにしんどかった。その晩私は熱を出したが、次にレティ先生にあったとき、おまえのrestless boy(休まない子ども)は元気かと聞かれたわ。ええ、相変わらず休んでない。
診察のときに多動を指摘されなかったのは、おもちゃで遊ぶとか知能テストは、本人も好きで、集中できることだったからなのだろう。
最近はそれでも、すいぶん落ち着いてきたと思うのだ。
が。

田中ビネーの知能テストをするという。隣の部屋で先生と一対一でする。私たちはそれを、マジックミラー越しに見ていたのだが、声は聞こえないが、いやもう、なんていうか、面白かった。
ちびさん、せっかちである。問題に答えて次の問題までの、すこしの時間が待てない。じっとしていられなくて、つみきや紐を片付ける手伝いまでしている。そうして首をぶんぶん振る。ああ、こんなふうにふるのか。がたがた椅子を揺らす。たぶんじっとしてないからだろう、途中で手遊びように飛行機の玩具をもたせてもらっていたが、ずいぶん余裕があるんだな。飛行機で遊びながら答えている。飛行機が斜めに傾く、あれどんどん傾く、と見ていたら、ちびさん、椅子ごと転んでいる。
先生がちびさんを助け起こしに行く。マジックミラーのこちら側では、親ふたりが声を殺して笑いころげた。マジックミラーごしに見てると、このちびは、面白すぎる。

首をぶんぶん振るのは、退屈だからでしょうか、と聞いたら、そうでしょう、と言った。この子は頭の回転がすごくはやい。まわりのはやさとあわない。あわせるのもつらい。間がもたなくなるんです。
ああなるほど、それで、その間を埋めるために首をふってるんだろう。たぶん家では、自分のペースで生きてるので、首を振らなくていいのかもしれない。一方ですごく不器用なので、頭のなかで考えることと、現実にできることとのギャップもある。

ちびさん、6歳2か月。5歳6歳の問題はすべてクリア、7歳を3分の2クリア、8歳を半分クリア、途中で「今度は先生が答える番だよ」と先生に問題を出したらしい。
本当に楽しい子ですねえ。9歳の問題は「ぼくは、そんなのむずかしくてできない」と宣言して終わりました。

授業は退屈かもしれないし、間を埋めるために、落書きしたりいろいろすると思いますが、楽しんで受けとめてあげてください。たいへん個性的で、変わった行動をすることもあるかもしれないけれど、それもまるごと受けとめる。
人権感覚のところだけは、小さい子にやさしくするとか、自分ができないからといって、他の人がやるのをじゃましないというようなところは、絶対にゆるがせにしてはいけませんが、それ以外は、どんなこともまるごと受けとめて、楽しんで子育てすればいいですから。
だってもう、生まれてきてくれただけで十分なんですから。

苦しいときは、どうしたって苦しくなります。学校に行きたい行きたくないも出てくるでしょうが、学校は行くもの、と決めてあげたほうが、こういうタイプの子は楽です。
ああ、それはわかる。自分で行く行かないを選ぶのはかなりストレスがかかってしまう。学校は行くもの、と決めたうえで、つらいときはどうするかを考えたほうがいい。

そんなわけで、来月一緒に学校訪問に行くことになる。就学予定の学校の校長室で待ちあわせ。T先生が全部話してくれるだろうと思うので、とっても気持ちが楽だ。あ、その前に学校説明会もあるなあ。

自閉の子から学ぶことはたくさんあります。以前小学校に勤めていたときに、自閉症の子が拍手をする。その拍手の意味は、でも、ふつうと違っていて、「校長の話は長くてつまらん。もう終わってくれ」という意味なんですよ。ほんとうに正直な子どもたちだから。
という話が、面白かった。うん、かわいそうなくらい正直だ。

水曜は、幼稚園の年長さんたち、近くの小学校の見学に行ったらしい。
去年同じクラスで年長さんだった子たちもいて、ちびさん楽しかったらしい。「小学生って、すごくがんばってるんだ」という。机に向かって勉強する姿はすてきに見えたらしい。

でもさ、勉強するには、ちびさん、この机のまわりを、すこーし、片付けないとさ。

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生活スキルチェック

自閉症講座、「生活スキルチェック」表ももらった。
だいたい就学までに、これくらいのことができるように、ということかな。うーん、難しいな。
○ひとりでできる △手伝って(声をかけて)もらってできる ×まだむずかしい

☆生活リズム
朝決まった時間に起きる △
夜は9時頃寝る × (はやくても9時半だなあ。10時とか)

☆食事
手を洗う △
箸やスプーンを使って食べる ○
姿勢よく食べる ○
おかわりがほしいとき、言える ○
一定の時間内に食べ終わる △
食べ終わったら自分で片付ける △
汚したものの後始末ができる △

☆お弁当
お弁当入れのひもがほどける ○
お弁当入れのひもが結べる ○
箸の準備ができる ○

☆着脱
自分で着る服を用意する × (これは構造化つまり整理整頓ができていないせい)
衣服の着脱がきめられた時間内にできる △
服装の乱れに気づく △
前後ろを確認して着る △
ボタンつきの服が着れる ○
ファスナーの開閉をする △
汚れたら着がえられる △
靴や靴下の左右がわかる ○
靴下のかかとをそろえてはく ○

以下、排泄、入浴、清潔、社会生活スキル、とチェック項目が続くのだが、×だけ書き出すと、

男の子はおしりを出さないでおしっこする ×
(道で堂々とパンツ下ろしている。最近、車や人が通るとちょっとはずかしがって、行き過ぎるのを待ってからするようになったのは、進歩)
ウンチの後始末は自分でする × (この不器用さだと、もう数年かかりそう)
鼻水を自分で拭く ×
ハンカチ、ちり紙を持っている ×(あ、これは私も× 服で拭く)
朝起きて髪をとく × (私も× めったに髪とかない)
散髪・美容院に行って髪を切る × (私も× 美容院苦手)
鏡を見て自分の姿をチェックする × (私も× 小さい鏡しかないし)
大人と楽しく買い物ができる ときどき× (私もときどき×)
行動の切り替えができる しばしば× (私もしばしば×)

で、気づいた。
親が悪いんだな。

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自閉症の子どもの生活づくり その2

(つづき)

☆☆大人が意識する生活づくり

基本的生活習慣の自立。食事、排泄、着脱、などなど。
社会的マナーを知ること。(自閉の子は、まわりからどう見られているか、わかりにくく気づきにくい)

*「大きくなったらできる」が通用しない!(大きくなって身につけるのは困難)

生活習慣が身につくためには。
 わが子の生活を客観的にチェックする。
 「少しずつ」がんばる部分をつくる。
 「毎日」取り組む
 「ちょっと頑張って」=できた!という成功体験
 家庭と園との連携

着脱
 服を一人で着脱できる?
 服を自分で選ぶ?
 服の前後がわかる?
 服の種類がわかる?
 身だしなみは整っている? 
   ↓
 ステップがいっぱい
   ↓
 自分で着脱できる素材・大きさ
 服を自分で選ばせる
 前後がわかりやすいデザイン
 着脱場所の工夫
 服の片付け場所や片付け方の工夫
 着る順番を知る

排泄
 布パンツで過ごしている?
 告知して一人でトイレに行くことができる?
 トイレのなかでズボンを脱いで排泄できる?
 後始末はおしっこでもうんちでもできる?
 身だしなみは整っている?
 手洗いは言われなくてもできる?

 紙パンツへのこだわり(感覚過敏の子に多い)
  布パンツで濡れることが嫌、トイレにすわる感覚が嫌、など。
  紙パンツをまったく家に置かないことも対処法。

 トイレの取り組みで大人が意識して伝えたいこと
  脱いでからトイレに行ってない?
  ドアは閉まっている?
  立ち便器でお尻が見えてない?
  パンツをあげずに出てきてない?
  手洗いは? ハンカチで拭いている?
  身だしなみは?
  性別を意識した関わりも。

☆生活づくりのポイント

 本人ができそうなところまで見守る
 少しずつ見守る部分を減らしていく
  ↓
 ちょっと頑張って「できた!」と感じられることが大事。

 変更することが苦手な自閉症児
  ↓
 大人にやってもらうことがあたりまえになってしまうと、大きくなってから変更しにくい!
(自分でやっていないとわからない。他の人がしていることへの想像力が働かないから、自分が知らないところでおこっていることはわからない)

 自閉症同士のカップルに赤ちゃんができて、親たちだけの子育てが難しいので、サポートに行くと、赤ちゃんをお風呂に入れるのに、湯がとても汚い。親たちは、家にいたころ風呂掃除をしたことがなく、風呂掃除が必要だということに気づかずにいた。という例。
 (うんうん、そういうことは、たくさんあります、と思った。常識、はわからないのである。自分で体験したことしか。)

 自分から考えることが苦手な自閉症児
  ↓
 わかりやすい生活グッズの工夫が必要

 自閉症の子どもたちは周囲から自分がどう見られているかを感じることが苦手
  ↓
 社会的マナーも意識した生活づくり。小さいうちから身につける。
 大きくなったらできる、は通用しない。大きくなったら抵抗が大きい。

☆☆「自分」ってステキ!と感じる生活

 怒られたり、注意されることが多い子どもたち
  ↓
 知らずしらずのうちに自分に自信がなくなってしまう
 
 子どもの好きな時間を作ってますか?
 みんなから認められる時間がありますか?

<お手伝いのすすめ>
 みんなから「ありがとう」と言われることで、
 「僕、私ってステキ」と自己肯定感を感じる。
 自分が自分であって嬉しいと思える。

 子どもの好きなことを活かす。
  水が好き 
  運ぶことが好き
  力を入れることが好き
  手先が器用

☆☆まとめ(将来を見通して)

どんな大人に育ってほしいか
どこでも、いつでも子どもが安心して過ごすことができるための工夫を。

人との関わりの基盤を育てる。
要求→「手伝って」と伝えられることも大切!困ったときに、人に頼る方法を知ること。 
期待→周りの人が期待してくれる、ほめてくれることを感じられる。

思春期を視野に入れた基本的な生活習慣
社会的マナー→周りの人から愛される人に!
性を意識した関わり→恥ずかしいことをきちんと知らせる

自己決定できる力
「~したい!!」と自分から決められる生活づくりを!
自分で選ばせる体験を。

自閉症の特性を理解しつつ、子どもの良い部分を生かし、今大事にすることは何か? あらためて考えていきましょう。
でも困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね! 一緒に子育てしましょう。

(おわり) 

自閉症に限らないだろうが、自己肯定感の、どっか壊れている人間が、子育てしているのだ、と思うと、この世はちょっとこわいな。で、そのちょっとこわいことを、私たちもしているわけだ。
この家族は、どっか壊れている。たぶん、ちょっとへんだ。親の親世代まで見ても、どっか壊れている。どうやってこの破壊(内面の破壊)を、私のところでくいとめるか、次の世代へ伝えないでいられるか、を考えると、ストレスでつぶれそうになる。
とても子どもをもつ勇気などなかったけど、ちびさんどこで道に迷ったか、来てしまった。ああ、来てしまったよ。
きみは、壊れるな。

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